砂子帖

日々の出会いを紹介

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川崎駅にエレベーターが誕生

JR川崎駅にエレベーターがもうすぐ誕生します。
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リトルスプーン閉店!

川崎の銀座街にあったカレーショップ「リトルスプーン」が閉店しました。
川崎でも有数の一等地にあっただけに残念です。
周辺には中華料理の「天龍」や「天下一品」、「リンガーハット」、「大戸屋」、「松屋」等々、B級グルメ店が立ち並ぶ競争激戦区ですが、京急川崎駅に近く、人通りも屈指だっただけに、コンセプトに問題があったと想います。リトルスプーンは高級イメージで勝負しようという魂胆があったのだと思いますが、銀座街にそんな人はいません。ココイチだったら間違いなく繁盛したでしょう!
カレー好きの私が言うのだから間違いない!
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穴守稲荷神社

ねがいごと かならずかなう 穴守の
いなりの神よ いかに尊き

羽田ではやる お穴さま
朝参り 晩には 利益授かる

京急穴守稲荷駅から徒歩2分で到着する稲荷神社。
この神社は終戦の1945年に、米軍による羽田空港拡張の為、従来の鎮座地である羽田空港内より48時間以内の強制退去を命じられたという苦難の歴史があります。

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【穴守稲荷駅前の鳥居】

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【赤鳥居】

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【祭りがあるようです】

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【本殿】

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【これぞ稲荷神社】

http://anamori.jp/
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横浜の夜景

横浜みなとみらい
代表的なランドマークタワーとクイーンズスクエアとワールドポーターズです。

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【ランドマークタワー】

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【クイーンズスクエア】

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【ワールドポーターズ】
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増上寺

浜松町駅から徒歩10分程歩くと、東京タワーをバックに現れる大きな門が現れます。
その名は大門。都営地下鉄浅草線の駅名にもなっています。
東京芝に建つ浄土宗7大本山の一つで徳川家の菩提寺として大いに栄えた増上寺。
大都会のど真ん中で鎮座するその姿に法然の教えを想うのは私だけではないのではないでしょうか。
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【大門】

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【三解脱門(三門)】

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【三門の側面】

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【大殿】

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【安国殿】

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【広い境内】

<緑起>
浄土宗の七大本山の一つ。三縁山広度院増上寺(さんえんざんこうどいんぞうじょうじ)が正式の呼称。開山は酉誉聖聡。江戸時代の初め源誉存応(げんよぞんのう)が徳川家康の帰依(きえ)を受け、大伽藍(がらん)が造営された。以後徳川家の菩提寺として、また関東十八 檀林(だんりん)の筆頭として興隆した。さらに、江戸時代総録所として浄土宗の統制機関ともなった。戦災によって徳川家の将軍やその一族の御廟(ごびょう)は焼失した。焼失をのがれた三門(さんもん)・経蔵(きょうぞう)・御成門(おなりもん)などを含む境内(けいだい)は、昭和四十九年(1974)完成の大本堂とともに、近代的に整備された。【浄土宗ホームページより】

http://www.zojoji.or.jp/index.html
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スーパー駅長たま

和歌山電鐵貴志川線の終着駅である貴志駅にはスーパー駅長の猫がいます。
猫の名は「たま」といい、助役の「ちび」と「ミーコ」とともに、名物として多くのお客さんに愛されています。銚子電鉄のぬれ煎餅と違い、電車自体に客に乗ってもらうという活性化策です。
でも残念ながらこの日は駅長室で眠っていました・・・・。
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【多くの客で賑わう貴志駅】

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【たま駅長室】

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【眠っている駅長たま】

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【助役のミーコ】

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【これぞローカル線の風景】
http://www.wakayama-dentetsu.co.jp/tama/index.html
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紀三井寺

和歌山市街地から車で南に10分程走ると紀三井寺があります。
西国三十三箇所巡りでは最初の青岸渡寺に続く2番目の札所で、3番目の粉河寺と長い巡礼の旅は続きます。いつか時間に余裕ができたとき、時間をかけて巡ってみたいものです。

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【参道から紀三井寺を望む】

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【楼門】

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【楼門を長い階段が続く】

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【本堂】

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【多宝塔】

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【境内から海南方面を望む】
http://www.kimiidera.com/
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伊太祁曽神社

伊太祁曽という名の意味はよくわかりませんが、木の神様と言われています。
和歌山県は紀の国と呼ばれていますが、この紀と木は何やら関係がありそうです。
和歌山では、この伊太祁曽神社と、日前宮と竈山神社を詣でることを「三社参り」と言います。

伊太祁曽神社の祭神は五十猛命(いたけるのみこと)、左脇宮に妹神の大屋都比賣命(おおやつひめのみこと)、右脇宮に同じく妹神の都麻津比賣命(つまつひめのみこと)で、いずれもスサノオの子です。

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http://www.nextftp.com/itakiso-jinja/
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京阪特急 ~出町柳から淀屋橋~

京都下鴨神社の出町柳駅から大阪御堂筋の淀屋橋を結ぶ京阪特急。
10月19日には天満橋駅から中之島を走る中之島線が開通します。
http://nakanoshima-line.jp/
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紀ノ川

奈良県吉野から五条・橋本を経て和歌山港に流れる紀ノ川。
その雄大な流れには心が洗われます。
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平安神宮

知恩院から青蓮院、三条通を越えると、岡崎公園が右手に見えた頃、正面には平安神宮の大鳥居が見えてきます。周辺には国立近代美術館や京都市美術館、京都府立図書館が並ぶ文京地区でもあります。大鳥居の先にはこれまた立派な朱色の応天門が見えてきます。
平安神宮は平安遷都1100年を記念して1894年に創建された新しい神社なので、全体的に建物も新しいのですが、実は1976年に放火によって多くの建物が焼失したらしいです。罰当たりですね~。応天門から境内に入ると大きな広場となっており、優美な平安の都を思い起こさせます。
また、20000坪を誇る神苑は、日本庭園をはじめ多くの見所がありますが、入場料が600円するので諦めました。
平安神宮の祭神は平安遷都時と東京遷都時の天皇である桓武天皇と孝明天皇です。

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【大鳥居】

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【応天門】

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【大極殿】

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【神楽殿】

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【右近の橘】

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【大極殿】

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【近くを流れる琵琶湖疏水】
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知恩院

 知恩院は八坂神社から続く円山公園を通って僅か5分の場所にあります。知恩院の前に近づくと三門の迫力に圧倒され、長い階段を登ると御影堂の偉大さにまたまた圧倒されます。
 御影堂では大きな畳の間に多くの人が信仰深く、というよりは休憩していました。風が通る大きな空間では、暑い暑い屋外とは違い何だか宗派や宗教を超えた一体感があったような気がします。

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【三門】

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【三門から階段を望む】

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【御影堂】

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【広い境内】

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【東大路通からの入り口】

 法然上人は、平安の末、長承2年(1133)4月7日、美作国(現在の岡山県)久米南条稲岡庄、押領使・漆間時国の長子として生れました。幼名を勢至丸といいました。勢至丸が9歳のとき、時国の館が夜襲され、不意討ちに倒れた時国は、枕辺で勢至丸に遺言を残します。「恨みをはらすのに恨みをもってするならば、人の世に恨みのなくなるときはない。恨みを超えた広い心を持って、すべての人が救われる仏の道を求めよ」という遺言でした。
 この言葉に従い、勢至丸は菩提寺で修学し、その後13歳で比叡山に登って剃髪授戒。天台の学問を修めます。はじめ円明房善弘と名乗りますが、久安6年(1150)、18歳の秋、黒谷の慈眼房叡空の弟子として法然房源空となり、叡空のもとで勉学に励み、「智恵第一の法然房」と評されるほどになりました。以後、法然上人は遁世の求道生活に入ります。
 この時代は、政権を争う内乱が相次ぎ、飢餓や疫病がはびこるとともに地震など天災にも見舞われ、人々は不安と混乱の中にいました。ところが当時の仏教は貴族のための宗教と化し、不安におののく民衆を救う力を失っていました。学問をして経典を理解したり、厳しい修行をし、自己の煩悩を取り除くことが「さとり」であるとし、人々は仏教と無縁の状態に置かれていたのです。そうした仏教に疑問を抱いていた法然上人は、膨大な一切経の中から、阿弥陀仏のご本願を見いだします。それが、「南無阿弥陀仏」と声高くただ一心に称えることにより、すべての人々が救われるという専修念仏の道でした。承安5年(1175)、上人43歳の春のこと、ここに浄土宗が開宗されたのです。
 法然上人はこの専修念仏(せんじゅねんぶつ)に確信を持つと、比叡山を下り、やがて吉水の禅房、現在の知恩院御影堂の近くに移り住みました。そして、訪れる人を誰でも迎え入れ、念仏の教えを説くという生活を送りました。こうした法然上人の教えは、多くの人々の心をとらえ、時の摂政である九条兼実など貴族にも教えは広まっていきました。しかし、教えが世に広まるにつれ、法然上人の弟子と称して間違った教えを説く者も現れたり、また、旧仏教からの弾圧も大きくなりました。

加えて、上人の弟子である住蓮、安楽が後鳥羽上皇の怒りをかう事件を起こし、建永2年(1207)、上人は責任をとらされ四国流罪の憂き目にあいます。5年後の建暦元年(1211)に帰京できましたが、吉水の旧房は荒れ果てており、今の知恩院勢至堂のある場所、大谷の禅房に住むことになりました。翌年、病床についた法然上人は、弟子の源智上人の願いを受け、念仏の肝要を一筆書きにしたためます。それが「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」と述べた『一枚起請文』です。そして建暦2年(1212)正月25日、法然上人ついに入寂、80歳でした。
 門弟たちは房の傍らに上人の墳墓をつくりましたが、その15年後、叡山の僧兵により墳墓が破却されそうになったため、弟子たちは亡骸を西山粟生野に移し、荼毘にふします。その後、文暦元年(1234)、源智上人は、荒れるがままの墓所を修理し遺骨を納め、仏殿、御影堂、総門を建て、知恩院大谷寺と号し、法然上人を開山第一世と仰ぐようになりました。知恩院の名は、遺弟たちが上人報恩のために行った知恩講に由来します。
ところで、法然上人を祖師と仰ぐ浄土宗の総本山として、知恩院の地位が確立したのは、室町時代の後期とされており、また、知恩院の建物が拡充したのは、徳川時代になってからのことです。徳川家は古くから浄土宗に帰依しており、家康は生母伝通院が亡くなると知恩院で弔い、また亡母菩提のため寺域を拡張し、ほぼ現在の境内地にまで広げたのです。その後も火災に見舞われるなど、伽藍にいくたびかの盛衰はありましたが、多くの人々の支援によって乗り越え、こうして800年以上、念仏の教えはここに生き続けてきました。

 法然上人の御心を受け継ぎ、私たちに生きる喜びをよみがえらせてくれる念仏のふるさと、知恩院。きょうも、人々の心にすがすがしくあたたかい光を照らし続けてくれます。(浄土宗HPより)
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八坂神社

京都一の繁華街である四条河原町から鴨川を渡り、京阪電車の四条駅を越えると、四条通のの先に八坂神社の朱色の西楼門が見えます。この辺りは祇園の中心でもあり昼と夜とでは全く違った風景になります。
 かつて八坂神社は祇園社もしくは感神院と呼ばれており、明治の神仏分離にともなって八坂神社と呼ばれるようになりました。創建も古く平安遷都の150年前には此の地にあったと伝えられています。また、何と言っても有名なのは祇園祭りで、上賀茂神社・下鴨神社の葵祭、平安神宮の時代祭とともに3大祭りに数えられています。
 八坂神社の主祭神は素戔嗚尊(スサノヲノミコト)、櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)、八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)です。 素戔嗚尊を奉る神社は熱田神宮や氷川神社が有名です。
 やはり京都市街の中心にあるだけ、正月だけではなく年中参拝客が絶えることはありません。
 また、八坂神社は円山公園とつながっており、高台寺や知恩院ともつながっている為、大変見応えがある場所です。

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【東山四条の交差点に位置する西楼門】

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【西楼門から見える四条通】

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【西楼門に負けない豪華な南楼門】

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【舞殿】

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【祇園造で建てられた本殿】

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【円山公園側にある石の鳥居】

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【境内にあるたくさんの摂社】

疫神社 蘇民将来
悪王子社 素戔嗚尊の荒魂
冠者殿社 天照大御神と契約されたときの素戔嗚尊の御気
末 社 北向蛭子社 事代主神
大神宮 天照大神・豊受大神
美御前社 多岐理毘売命・多岐津比売命・市杵島比売命
大国主社 大国主神・事代主神・少彦名命
玉光稲荷社 宇迦之御魂神
日吉社 大山昨神・大物主神
刃物神社 天目一箇神
厳島社 市杵島比売命
太田社 猿田彦命・宇受女命
大年社 巷社神
多賀社 伊邪那岐命
熊野社 伊邪那美命
白山社 白山比命
愛宕杜 伊邪那岐命・火産霊命
金峰社 金山彦命・磐長比売命
春日社 天児屋根命・武甕槌神・斎主神・比売神
香取社 経津主神
諏訪社 健御名方神
松尾社 大山咋命
阿蘇社 健磐龍神・阿蘇都比命・速甕玉命
八幡社 応神天皇
竈神社 奥津日子神・奥津比売神
風神社 天御柱命・国御柱命
天神社 少彦名命
水神社 高龗神・罔象女神


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春日大社

奈良公園シリーズ最後の砦は春日大社です。
本来ならば二月堂・三月堂・正倉院・奈良国立博物館・若草山と紹介したい名所はありますが、時間もないので今回の春日大社が最後になります。
春日大社の一の鳥居は東大寺から近くのところにあります。
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春日大社は平城京の守護の為に創建された御社で、本殿向って右(東)から、第一殿 茨城県の鹿島神宮から迎えられた武甕槌命(タケミカヅチのミコト)、第二殿 千葉県の香取神宮から迎えられた経津主命(フツヌシのミコト)、第三殿 天児屋根命(アメノコヤネのミコト)と第四殿 比売神(ヒメガミ)は枚岡神社から、それぞれ春日の地に迎えて祀られている。
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当然、延喜式式内社、二十二社の一社で、官幣大社。全国にある春日神社の総本社です。
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春日大社のシンボルの鹿は元々は鹿島神宮の武甕槌命(タケミカヅチのミコト)が鹿に乗ってやってきたのが始まりで、今では奈良公園全域に悠々としているが、本家の鹿島神宮の鹿は檻の中に入れられている。全く正反対の運命です。
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長い長い参道の先にやっと廻廊が見えてきました。
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国宝の本殿は春日造の建物で国宝に指定されています。四柱の神は、向って右(東)から、第一殿 武甕槌命(タケミカヅチのミコト)、第二殿 経津主命(フツヌシのミコト)、第三殿 天児屋根命(アメノコヤネのミコト)、第四殿 比売神(ヒメガミ)です。
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広大な敷地には多くの摂社があり、12社めぐりとして有名です。
1.若宮神社 2.三輪神社 3.兵主神社 4.南宮神社 5.広瀬神社 6.葛城神社
7.三十八所神社 8.佐良気(さらけ)神社 9.宗像神社 10.紀伊神社 11.金龍神社 12.夫婦大国社
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当然お土産はこれで決まり!
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衝撃!!暴れん坊大仏

これはいいのでしょうか?
奈良限定のお土産です。大仏より鹿の顔が怖いです。
これこそ「せんとくん」に変わる新キャラクターにふさわしいと思いますが、まぁ無理ですね
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東大寺

奈良公園には数ある文化遺産が存在します。
古都奈良の文化遺産として、奈良県奈良市地域に存在する寺院等が1998年に世界遺産に登録されました。その中でも代表的であり誰もが一度は訪れたことがあるのが東大寺です。
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東大寺は近鉄奈良駅を降りて奈良公園に入り興福寺を越えて奈良国立博物館が見えてきた頃、北側に南大門が見えてきます。南大門の通りにはたくさんのお土産店や露店がありいつもたくさんの観光客でごった返しており、外国人の姿も多く見られます。

南大門には運慶・快慶作の木造金剛力士立像(阿形像、吽形像)が圧倒的な存在感で参拝客を迎えます。まずは大仏殿を見る前に、ここで驚かされるのではないでしょうか。
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南大門を越えると中門が見えてきます。この辺りは左側に池があり、松の木と先に見える大仏殿と合わさり優雅な雰囲気です。
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中門より先に入るにはぐるっと廻って入ります。いよいよ大仏が近づいてきました。
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この規模、この迫力、この存在感・・・
まさにこれが世界に誇る大仏殿です。私は年に1度は訪れるようにしています。
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大仏は正式名を盧舎那仏像といいます。ここからは大仏殿に鎮座する仏像のギャラリーをお楽しみください。当然全てが国宝です。
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最後に絵葉書並みのベストショットです。
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スクープ!興福寺阿修羅像が東京に!!

南都北嶺として比叡山延暦寺と並ぶ勢力を持つ興福寺。
来年3月に東京国立博物館に出展されることが決まりました。
薬師寺の日光月光菩薩以来の大物がついに東京に登場します。
残念ながら山田寺仏頭や木造千手観音立像は来ないそうです。残念。

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興福寺には仏像だけでなく日本霊異記の原本や五重塔、三重塔も国宝として指定されています。
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興福寺は奈良公園の入り口に位置しており、興福寺を見た後に東大寺や春日大社、若草山を訪れる観光客が多い。入り口としてのまさに圧倒的な存在感を放っている大寺院です。
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鹿もここまでここまで降りてきています。
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廣瀬大社

廣瀬大社の所在地は大和盆地を流れる全ての河川が一点に合流する地に祀られていることから、水の守り神として古くから信仰されており、崇神天皇9年(前89年)に一夜で沼地が陸地に変化し、橘が数多くの生えたことが天皇に伝わり、この地に社殿を建て祀られたと伝っている。
河川の氾濫を防ぎ、風雨を調和し、五穀の豊穣を守る神として食物の神としても知られる。
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この神社も龍田大社と同じく官幣大社であり延喜式二十二社の一つと数えられるほど格式が高い。
若宇加能売命(わかうかのめのみこと)を主祭神とし、相殿に櫛玉命(くしたまのみこと)、穂雷命(ほのいかづちのみこと)を祀る。
若宇加能売命は別名を豊宇気比売大神(豊受媛神)、伏見稲荷大社の宇加之御魂神と同神で、廣瀬大忌神とも呼ばれている。
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鳥居から本殿に向かう道は約樹木に覆われており、暑い夏の日でも周りは静寂に包まれ、ヒンヤリとしている。二の鳥居をこえると拝殿が建っています。結構地味な建物です。
廣瀬大社は室町時代まで旺盛を誇っていたが、室町後期に細川管領に押領され、桃山時代には大和大納言豊臣秀長に没収されて衰退したそうです。
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本殿は美しい朱塗りの建物です。
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摂社
水分神社

末社
祓戸社
稲荷社
八神神社
饒速日命社

毎年2月11日には天武天皇の時代から行われている「砂かけ祭」が行われます。この祭りは五穀豊穣を祈願しており、砂を雨に見たてた祈雨の神事である。拝殿前の広場を田に見立てて田植の所作を行い、それに対して参詣者が一斉に砂をかけるもので、この行事中、暴れ方が激しいほど豊作であるといい、砂は雨になぞらえ、掛け合いが盛んであるほど雨が多く降るといわれています。
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龍田大社

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風神として信仰を集める龍田大社は、天御柱命(あめのみはしらのみこと)・国御柱命(くにのみはしらのみこと)を主祭神とし、天と地の間即ち大気・生気・風力を司る神様で龍田風神と総称されています。
周辺は近年住宅地が造成された為、住宅地の中にある神社というイメージですが、創建は今から約二千百年前の第十代崇神天皇の時代なので、その頃の風景とは一変しており神様もさぞや驚いていることでしょう。
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正面の赤い鳥居の横には“官幣大社龍田大社”の石柱が建っています。この龍田大社は古くから格式が高く、平安時代の「延喜式」では名神大社に列し、二十二社の一社とされました。また、明治には官幣大社に列せられ日本を代表する神社となっています。
一見、普通の鳥居に見えるが、四本の柱で支えている変わった形をしています。

鳥居の先には赤い立派な拝殿が建っています。この日は暑い夏の午前中だったので参拝客は数えるほどでした。
また、古来より多くの歌に詠まれています。

「嵐し吹く三室の山の紅葉は龍田の川の錦なりけり」 能因法師
訳:激しい嵐がふきちらした、三室の山の紅葉の葉が、龍田川 に一面にちりしいて、まるで、錦の織物のように美しいこ とだ。

「千早振る神代もきかす龍田川からくれないに水くくるとは」 在原業平
訳:今の世ではもちろんのこと、いろいろふしぎなことがあったという神代のむかしにさえも、こんなことがあったとはきいたことがありません。一面に紅葉が散りしいて竜田川に流れる水を、美しいくれないの色のしぼり染めに染めあげるなどということは・・・・。
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龍田大社内には多くの摂社・末社があります。
摂社
龍田比古命・龍田比売命
末社
上座:天照大神・住吉大神の相殿
中座:枚岡大神・春日大神の相殿
下座:高望王のお妃
龍田恵比寿神社
白龍神社
三室稲荷神社
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夜の天王寺駅

大阪の3大繁華街の一つである天王寺・阿部野橋地区。
天王寺駅はJR阪和線(紀勢本線)の終着駅でもあります。
ここから関西空港や和歌山、白浜、新宮方面へと続いています。
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天王寺駅の関西線ホームには王寺行きの最終電車が入ってきました。関東ではあまり見かけなくなった緑の電車ですが、まだまだ関西では現役です。
JR東日本はエネルギー効率を考え新型車両を導入していますが、西日本は使える車輌はとことん使っています。どちらがエコなのかわかりませんが、西日本には資金がないので新型車輌を導入できない事情もあるようです。
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川崎川中島の神明神社

川崎区川中島の住宅街にある神明神社。
社殿は小さいが、社務所は立派です。
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神明神社とは、天照大神を主祭神とし、伊勢神宮内宮を総本社とする神社で全国で5千を超えるといわれています。

川中島は、江戸期から続く古い地名で、かつて多摩川の川中の州が島になり、そこが開墾されたた
めに川中島村となったといわれています。
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政治色豊かな盆踊り

盆踊りの季節
やぐらの上、露店には政党の旗がひらめいていました。
ここまで露骨だと、逆に清々しいですね。
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川崎を歩く ~第一京浜から南に歩く~

川崎を東西に貫く幹線に第一京浜(国道15号)は通称“いちこく”と呼ばれています。
JRの向こう側を走っている国道1号は通称“にこく”と呼ばれており、結構ごっちゃになっている人もいます。
第一京浜と新川通りの交差点「新川橋」付近には、まるでバブルの塔のごとく立派な病院「川崎市立川崎病院」がある。周りは低層の住宅地だだけにかなりの違和感を感じます。
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ここから海の方に歩くと川崎球場が見えてきます。スタンドの大半は撤去されましたが、グランドはまだ残っており、この前もアメリカンフットボールのワールドカップが行われていました。
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川崎は昔からホームレスが多いが、この付近にある富士見公園は多摩川河川とともに多くのホームレスがいます。この公園の入り口にはこのような看板が立っています。
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暑い夏。彼らも大変だと思います。・虫達も夏を堪能しているようです。
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億万長者専門学校

世界ナンバーワンの成功コーチである、アンソニー・ロビンズから認められた唯一の日本人プラチナ・パートナー&シニアリーダーとして高名なクリス岡崎著の「億万長者専門学校」を手に入れました。
この本は、ビル・クリントン元大統領、故ロナルド・レーガン元大統領、クインシー・ジョーンズ、故ダイアナ元妃、アンドレ・アガシにも影響を与えているとのこと。

ここでいう億万長者とは、「何度でも1億円をつくり出す能力を持っている人」です。

マイホームを買うのも時間も問題かな。
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川崎区最大の祭り「山王祭」

川崎の守り神、稲毛神社の山王祭。2日は、中世神社の制度を現代に伝え、古来口伝の方法で調理した料理を神に供える宮座式(県文化財))。3日には、多くの市民に見守られる中、孔雀・玉ニ基の大神輿が「男女ニ柱の神の結婚」「御子神の誕生」の物語の隠された道のりを巡り、神社へと還る宮入の行列が行われます。境内では神楽・奉納演芸が催され、立ち並ぶ露店と共に、賑やかに祭りを盛り上げます。毎年8月1日~3日に開催。

川崎銀座街の入り口にある人気中華料理店「天龍」と京都の人気ラーメン店「天下一品」の前は神輿を担ぐ者、それを観戦する者でいっぱいでした。
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稲毛神社は30店以上の露店で埋め尽くされていました。ピークは明日3日!川崎区内から祭りが好きな人が大勢集まるでしょう。
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