砂子帖

日々の出会いを紹介

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
このページのトップへ

仇桜

「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」

明日桜を見ようと思っても夜に嵐が吹き、散ってしまうかもしれない。
明日に持ち越したら大事な「今」を失ってしまう。

やりたいこと、やってあげたいこと、やるべきこと・・・・・
「何故やらなかったのか?」、「何故やってあげなかったのか」

後悔しないように「今」を大事にしたいものです。
スポンサーサイト
このページのトップへ

凡夫

私は煩悩に勝てない。
懸命に挑んではみたが、煩悩の前には手も足も出ない凡夫であった。

しかしながら、親鸞聖人は教行信証で「悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して・・・」と言い訳を一切していない。

榎本栄一氏はこう言っている。

この私を、凡夫と知るのに
ながい月日かかり
みれば周囲の人びと
凡夫のままで光っている

人生迷いながらも、日々を懸命にいきることが大事だ。
光るのも、くすむのも、自分の心がけ次第だと思います。

このページのトップへ

元興寺

遠くインドの地で釈迦が開いた仏教が日本に伝えられたのは今から約1500年前の502年と日本書紀は伝えている。
当時の日本は崇仏派の蘇我氏と排物派の物部氏が対立していたが、蘇我氏の勢力が増し588年に蘇我馬子が初めて正式に仏寺を建立した。
ここに建立されてのが飛鳥寺(元興寺)である。

この飛鳥寺は、710年に奈良の平城京に都が移ると、遅れること718年に名を元興寺と改め奈良に移ってきた。その後、大官大寺(大安寺)や薬師寺とともに南都七大寺に数えられ、日本仏教界に確かなる実績を残してきた。
しかし時は移り平安時代後半になると衰退の道を辿ったが、庶民の信仰に支えられ権威を保っていた。現在はユネスコの世界文化遺産「古都奈良の文化財」のひとつとして登録されており、「国宝極楽堂」、「国宝五重小塔」など、数々の文化財を現在に伝えている。

元興寺周辺は「ならまち」という名称で知られ、江戸時代の街並みが残っており、近隣の奈良公園や春日大社、興福寺、東大寺とともに観光コースのひとつとして賑わっている。
仏教を受け入れた蘇我氏が建立した元興寺は、蘇我氏が滅亡して千年以上たった現在でも奈良の街に生き生きと存在している。日本仏教の原点ともいえるこの寺を訪れることは、数々の先人達の苦労を肌で感じる機会になるのだろう。

画像 064

画像 069

画像 072




このページのトップへ

FC2Ad

プロフィール

ワープマン

Author:ワープマン
世界で一番楽しいブログ

最近の記事

フリーエリア

ありがとう0系新幹線 ブログパーツ

バンダイチャンネル

月別アーカイブ

最近のコメント

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。